Ka Ipo Lei Manu

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今カピオラニ王妃が夫、カラカウア王(ハワイ語での正しい発音はカラーカウアですが、ここではカラカウアに統一)のために作った曲、「Ka Ipo Lei Manu(カ・イポ・レイ・マヌ)」を習っています。で、調べてみたのがカピオラニのこと。


カピオラニのフルネームは、ジュリア・カピオラニ・ナペラカプオカカエ(Julia Kapi'olani Napela-kapu-o-kaka'e)。1834年ワイ島ヒロで生まれました。実は彼女はカラカウア王と結婚する以前、18歳の時に35歳も年上の酋長、ベネット・ナマケハという人物と結婚しています。しかしベネットは病気がちでわずか7年後に病死。カピオラニは25歳で未亡人となっています。


短い結婚生活の間に、カピオラニは自分の子供を出産するものの死産。亡くなった我が子の代わりに、カメハメハ4世とエマ女王の間に生まれたアルバート王子のkahu-ali'i (乳母)を務めます。しかし、愛情を込めて育てたこの王子もわずか4歳でこの世を去ります。


この後、カピオラニは、1863年、29歳の時、デビッド・カラカウアと再婚。この直前にカメハメハ4世が崩御したため、弟のカメハメハ5世が王位を継ぎますが、この王も1872年に亡くなり、またそれを引き継いだウイリアム・チャールズ・ルナリロ王子の王位も長く続きませんでした。王位をめぐってカラカウアとエマ女王の選挙が行われ、39対6でカラカウアが王位を継承し、カピオラニは王妃となりました。

カピオラニは人生に2つのゴールを持っていたといわれています。1つはハンセン氏病患者の生活環境の向上。特にハンセン氏病に感染していない子供たちの将来のために、チャリティで資金を集め、ホームを建設しています。もう1つは、貧しい女性が安心して子供を生める病院の建設。これはハワイ人の血筋を絶やさないためにも重要なことだと考えていました。


1882年にカラカウア王は、イオラニ宮殿を完成。カピオラニとカラカウアは、仲睦まじい夫婦で二人でよく旅行を楽しみました。しかし、政治上のストレスでカラカウアは健康に支障をきたし、静養のためにサンフランシスコを訪れます。しかし、二度と生きてハワイの土を踏むことはなく、カピオラニと離れ離れのまま、1891年1月20日、カラカウア王は世を去ります。


カラカウアの死後、王位を継いだリリウオカラニイオラニ宮殿を明渡し、カピオラニはワイキキに居を移し、1899年、65歳で亡くなりました。

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というのがカピオラニの人生の略歴。
「Ka Ipo Lei Manu」は、最初はもうすぐ帰ってくるはずのカラカウア王へのプレゼントとして書かれましたが、旅の途中でカラカウアは亡くなり、この曲を聴くことはありませんでした。


曲の冒頭では、カラカウア王をイイヴィ('i'iwi )という鳥にたとえ、愛する気持ちを歌っており、また最終Verseでは、「もうすぐ帰ってくる!」と喜びの気持ちを表した歌詞になっているのですが、一番最後に王はheleloa(永遠に去ってしまった)で終わっています。
シンプルなメロディですが、とても深い愛の込められた
哀しいラブソングです。この曲をきっかけに、イオラニ宮殿に行ってもっとハワイの王族について知りたくなりました。カラカウア王についても、いつか調べてみたいと思います。


★いろいろな人がレコーディングしていますが、私が
習っているのは、カジメロのライブバージョンです。


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