訃報 ノナ・ビーマー

また訃報です。
アンティ・ノナとして知られる、ウィノナ・ビーマー(Winona Kapuailohiamanonokalani Desha Beamer)さんが今朝、マウイ島ラハイナの自宅で亡くなったそうです。アンティは84歳でした。


アンティ・ノナは、その系統が15世紀までさかのぼれるという、有名な音楽一家、ビーマーファミリーの一員で、1923年にホノルルで生まれ、ハワイ島で育ちました。3歳になる前に祖母、ヘレン・デシャ・ビーマー(Helen Kapuailohia Desha Beamer)からフラを習いはじめたそうで、ビショップミュージアムには彼女が7歳だった時の映像が今も残っています。


1937年にカメハメハスクールに進学。卒業後はコロラド、NYのカレッジに進み、自らのフラのグループを作って、東部や中西部でフラを踊り、1948年にはNYのカーネギーホールにも出演、当時流行っていた「ハパハオレ」スタイルではない、本物のフラをアメリカ本土で紹介しました。


1949年、アンティは26歳の時にカメハメハスクールの教員になり、ハワイ文化について教鞭をとるようになります。フラを学校のカリキュラムにとりいれたのも彼女の功績の1つで、ハワイ語の歌の本やフラの教材を作成したり、チャントや曲を書いたり、枚挙にいとまがないほど、ハワイ文化の保存と発展のために生涯を捧げました。現在、ハワイの子供たちが愛唱している「Pupu Hinuhinu」も彼女が作った曲の1つで、ハワイアナという言葉も彼女が広めたものです。


ちなみにアンティはカメハメハスクールに生徒として通っていた頃、二度停学になったことがあるそうです。それは、子供達だけでハワイアンクラブを作り、祖母から習ったチャントを他の子に教えていたのが校長先生にばれた時。今では考えられないことですが、当時は、ハワイ語を学校など公共の場所で使うのが法律で禁じられており、あのカメハメハスクールも例外ではなかったからです。


今、カヒコがあり、数多くのチャントが残されているのも、こうして周囲の圧力にも負けず、フラを守り抜いてきた人たちがいたからこそではないでしょうか。


アンティは約50年の長きに渡って、カメハメハスクールで教鞭をとっていたため、多くの教え子がいます。その1人はチャンターでマウイのオールド・ラハイナルアウでMCをしているチャールズ・カウプで、彼女が自分にとっての最初のチャントの先生だったそうです。


ちなみにアンティ・ノナの息子は、スラックキーギター奏者のケオラ・ビーマーで、以前、マウイで開催されたフラカンファレンスで、親子の共演を見たことがあります。ケオラがギターを弾き、アンティ・ノナがフラを踊る。今思い出しても、本当に素晴らしいステージでした。


アンティの冥福を心からお祈りいたします。
E ola mau ka inoa 'o Winona Desha Beamer.




ノナ・ビーマーが書いた本(一部)
Na Mele Hula -a Collection of Hawaiian Hula Chants-
Vol1 & 2

Talking Story With Nona Beamer

ノナ・ビーマーのCD
Golden Lehua Tree
アンティ・ノナの"Talk Story"がCDになった作品。息子のケオラとの共作。


●参考サイト
フラ・プリザーベーション・ソサエティ

アドバタイザー紙の記事

アロハウインズ・チャールズ・カウプのインタビュー