アンティ・マイキ(Aunty Maiki Aiu Lake)

aloha_mode2005-05-03



最近とてもくだらないことだけど本当に落ち込むことがあり、今日は以前買ってまだちゃんと見ていなかった、アンティ・マイキのDVDを見直しました。
で、もう柄にもなく、号泣しながら見てしまいました。


このDVDは、彼女のハラウのフラを紹介することが目的ではなく、人間としての彼女にスポットをあてたもので、彼女の平坦ではなかった人生があってこそ、フラに打ち込み、そして偉大なる業績を残したのではないかと感じさせる内容でした。


アンティ・マイキは生前、自分の幼い頃の話をあまりしたがらなかったということですが、彼女は生まれてすぐハナイ(養子)に出され、その後養父が亡くなったため、これまで伯母と思っていた自分の母の元に引き取られたのですが、裕福だった養父のところとは違い、実母は非常に貧しい暮らしをしていたため、小さい頃はつらい思い出が多かったそうです。


その後、カトリックの学校に住み込みで通うことになり、そこで従兄弟たちとフラをはじめ、どんどんフラの世界に引き込まれていったのがフラをはじめたきっかけでした。その後、ロカリア・モンゴメリ(Lokalia Montgomery)の弟子となり、46年にオラパ、48年にクムフラとしてウニキを受け、同年自分のスタジオをスタート。その後52年に、ハーラウという名を使うことを許されたのですが、当時はフラは限られた一部の人のみがクムフラの家に住み込んで習うようなもので、現在のようなスタジオ形式の"開かれたフラの教室"を開いたことで、かなり批判されたそうです。


後に72年にクムフラになるためのgraduation classをスタートし、新聞広告を出して、外部のハラウからも広く生徒を募集。最初は40人いた生徒は、だんだん減り、最終的には約30人足らずになりました。72年にたったひとり、Ho'oulu Cambra(ホオウル・カンブラ)がアンティ・マイキからウニキを受けたクムフラ第一号として卒業。翌年、25人がクムフラ、3人がオラパとして卒業しました。


最初のクラスは、パパ・レフア、次はパパ・イリマというように花の名前がつけられているのですが、アンティの娘によると
レフアは溶岩が流れた後の大地に一番最初に咲く花、そしてもう1つ最初に生まれた子供という意味がある」そのため、レフアクラスと名づけられたそうです。


この第一期のレフアクラスには、ロバート・カジメロがおり、ロバートのハーラウからもウニキを受け、クムフラが誕生しています。これはまるで花の種が落ち、そこから次々と何世代にも渡って、アンティ・マイキの教えをくむ、クムフラたちが誕生し、新しい花を咲かせていくようで、本当に素晴らしいことだと思います。


アンティ・マイキの生徒には、プアケア・ノゲルマイアー(読み方?Puakea Nogelmeier・ケアリイ・レイシェルの親友でハワイ大学マノア校の助教授)もいますが、彼いわく「アンティは、ハワイ人であろうとなかろうと教えを受けた人には広く門戸を開いた。自分だってハワイ人ではないのに受け入れてくれた」と語っています。失われつつある文化を守るために、一部クプナたちの批判を受けながら、自分の道を信じて突き進んでいったアンティ・マイキに心から敬服します。


アンティは、一時期ワイキキに「ハーラウ・ハワイ」という、フラクラスと舞台とリサーチ用のライブラリが一緒になった施設を開いたことがあるのですが、経営的に難しくわずか1年で多額の借金を背負ってハラウを閉じた時期があります。その時、生徒たちは「ビーチでもどこでもいい。あなたが教えるところが、私たちのハラウだ」といったそうです。


アンティ・マイキのgraduation classからは、72年から83年までの間に、のべ42人のクムフラと46人のオラパを生み出したそうです(この数字、文献によって異なります。確認中)。でも、彼女に一度も習ったことがないのに、彼女に教えを受けた、クムフラとしてウニキを受けたと経歴詐称する人が多かったため、新聞に彼女が称号を与えた人のリストを公表しなくてはならなかったことがあるそうです(日本でも誰がハワイのクムかで、日本のスタジオの生徒の集まり具合が異なるようなので、中にはあやしいところもあると聞きます。これって、ハワイでも同じだったんですね)。


アンティ・マイキは若い頃に一度結婚しすぐ離婚。そしてその後、現在のハーラウ・オ・マイキを受け継いでいる、カレン&コリーンの父であるアイウ氏と結婚するものの、再び離婚し、今度は7人の子供を持つシングルマザーに。その後、最後にようやく3人目の夫、カハウアヌ・レイク氏と結婚し、女性としても最高の結婚生活を手に入れ、クムフラとしても絶頂期の84年に、わずか59歳で突然この世を去りました。


アンティ・マイキは、Hula is lifeという言葉を残しています。決して順風満帆とはいえなかった彼女の人生。とても重みのある言葉です。




最近「プア・リリレフア」を聞いているので、その曲の生まれた背景が知りたいと思って、DVDを見始めたら、思わずいろいろ知りたくなり、すっかりはまってしまいました。DVDの中で、カジメロをはじめとするアンティの生徒たちがところどころ涙目になりながら、熱く語ります。それを見ていたら、思わずもらい泣きしてしまい、私の落ち込みもすっきりとはいわないものの、かなり回復しました。


ハーラウ・オ・マイキは一切、コンペティションには出ないそうです。以前、チャールズ・カウプさんとマウイでお話した時、「クムフラを名乗る人は多いけれど、コンペティションに出ることだけにやっきになり、文化をちゃんと教えないクムフラが多くて困る」と嘆いていました。いわゆるマイキ系のハラウの中には、ロバート・カジメロのハラウ、ナー・カマレイのようにコンペに出るところもあれば、一切でないところもあります。コンペに出ないところの踊りは、ハワイに住んでいないとなかなか見るチャンスがないので、いつかそんなハラウの踊り、じっくり見てみたいものです。

関連リンク
●Halau Hula O Maiki
アンティ・マイキの娘、コリーン・アイウがマイキから引き継いだハラウ。
http://www.soc.hawaii.edu/hwhp/hula/HALAU.html


●Halau Hawai'i アンティ・マイキの娘、カレン・アイウ(Karen Ka'ohulani Aiu)とクウイポ・クムカヒ(Ku'uipo Kumukahi)のハラウ
http://www.lava.net/halauhawaii/halau.htm

参考にしたページ
http://www.hawaii.edu/biograph/biohi/maikiguide.pdf