ホームレス


クリスマスに上司からスターバックスのドリンクギフト券を
もらったので、今朝、オフィスのすぐそばにあるスタバに
コーヒーを買いに行った。
途中、昨日も見かけた40代後半とおぼしきホームレスの
女性がいた。ボロボロの毛布、もう何年も使っているに
違いない破れた布袋を持ち、髪はぼさぼさ、顔も泥がつき
本当にひどいありさまだった。おそらく正気ではないらしく、
道ゆく人にお金をねだるわけでもなく、ただ訳のわからない
ことを叫んで怒鳴り散らしている。

彼女の人生に何があったんだろうと思う。
生まれた時には親がいたし、兄弟もいたかもしれない。
そして若い時には恋もしただろうし、もしかしたら
結婚していたかもしれない。今ごろ、本当は
暖かい家の中で過ごしていたかもしれない彼女。
一体どこで彼女の人生の
歯車が狂ってしまったんだろうか。

いったんホームレスになってしまうと、そこから
もとの生活に戻るのはかなり大変だと聞いたことがある。
仕事を失って、家賃滞納でアパートを追い出されたとする。
その後、新しい仕事をしようとしても、住所不定の者を
雇う人は滅多にいない。まさに泥沼なのだそうだ。

アメリカでは数多くの宗教団体が、ホームレス救援のための
シェルターを作り、彼らに住む場所や食事の提供をしている。
しかし、宗教団体であるがゆえに、規則も厳しかったり
説話を聞かなくてはならないなどの制約があり、それを
敬遠してあえて、シェルターには近づかないホームレスも
多いという。

以前、「ボランティア」をテーマとした雑誌の取材で、こうした
施設の1つに行き、実際に給食サービスの手伝いをしたことがある。
そこでボランティアをしていた人々のうち、「自分も元ホームレスだった」
という男性に会った。彼の場合は、キリスト教の感化を受け、
自分の人生を変えたいと思ったということだったが、すべての人々が
彼のように素直に「与えられた宗教」を受け入れられるわけではない。

道端でホームレスにお金を与えるのは、逆に彼らの自立を阻む行為
だという意見がある。私もこの意見に賛成しており、各種団体などに
寄付を行うことはあっても、フリーウェイの出入り口やコーヒーショップの
そばにいる個々のホームレスに小銭を渡したことはない。
しかし、今朝、ロサンゼルスとはいえども12月の寒い風の中
たったひとりで生きている「彼女」を見て、それが本当に正しい
意見だろうかと悩んだ。コーヒー一杯でも渡してあげるべきか?
悩んだあげく結局、そのまま彼女のそばを通り過ぎた私に
彼女はやっぱり意味不明な言葉でののしった。