日系人ネタ


私と日系アメリカ人との最初の出会いは、今から約4、5年ほど前にさかのぼる。
サンフランシスコに住んでいた知り合いの紹介で
日系3世の男性(50歳)が数十年ぶりに、子供の頃住んでいた日本に
里帰りするのを手伝った。
なにしろ子供の頃といっても数十年前のことなので、彼は日本語はすっかり
忘れている。だけど、年をとるにしたがってもう1度日本に帰りたい、
今ではほとんど音信不通になっている親戚たちに会いたい。そんな気持ちが
心の中にあふれてきて、彼は日本に里帰りする決心をしたのだ。
と、これがなんだか話の中心になってしまいそうだけど、実はそうではない。

この出会いをきっかけに、私は日系人という人々に興味を持ってしまったのである。
その後ハワイに行き、ジム・カワハラ、リリー・シマザキなんていう、日本の苗字を持つ
アメリカ人たちに数多く出会い、彼らのバックグラウンドに関する話を聞いているうちに
なんとなく歴史本なんかを読んだりするようにもなった。

ひとくちに日系人といってもチリやペルー、ブラジルなど南米に行った人もいれば、
シアトル経由(当時はここが北アメリカの玄関口だったそうな)でアメリカに渡った人、
もう少し近くのハワイに渡った人など、さまざまな人がいる。
時代にもよるが、アメリカで一旗挙げてきた洋行帰りの人は村でもてはやされ、
次から次へと日本人を外国に送り出した村もあったそうだ。

home of Japanese-American、ロサンゼルスに住むようになり、日系人
知り合う機会も多くなった。しかし、驚いたことが1つある。
中国系アメリカ人、韓国系アメリカ人、ベトナムアメリカ人など
いわゆるhyphenated(ハイフン付きの・○○系)アメリカ人の多くは、
2世、3世、4世、はては5世、6世になっても家族の結束が固く、
いまだに自国の文化を受け継いでいるのに比べ、
日系人アメリカ人になりきっている人が多いということだ。
英語しか話せない人が多いのも、他の○系人にはない大きな特徴である。

これはなぜか?という疑問を、のちに私の夫になった
日系2.5世のボーイフレンドに聞いてみた。
するとこんな答えがかえってきた。
「あらゆる移民の中で、第二次大戦の時に日本人だけが
キャンプ(収容所のこと)に入れられた。その時、子供を持つ
多くの日本人たちは、これからは子供をアメリカ人として
育てよう。できる限りアメリカに同化しようと思ったらしいんだ」

さて、そんな歴史的背景のせいでアメリカの日系人
日本語が話せない人が絶対的に多い。

ちなみに今ロサンゼルスの日系・日本人社会では
英語しか話せない日系人と、日本をどっぷりひきずっている日本人との間に
すごく大きな溝がある。お互いにまったく別の人種と認識しているかのようだ。
実際、各種の日系ビジネス団体、文化団体などは
Japanese AmericanのグループとJapaneseのグループと個々に
独立して存在している。

リトルトーキョー日系人博物館があるが、これはその両者の
間にある壁を象徴しているように私には思える。
日系人が中心になって作ったということもあり、
展示は英語中心。日本語はコピーの資料を手渡されるのみだ。
親たちの苦労の時代を忘れないために作られたこの博物館、
リトルトーキョーを訪れる、日本からの観光客には
まったくといっていいほど人気がない。
彼らは「アメリカ」を求めてわざわざやってきたのだから
「日本」を知る必要はないといえばそれまでだが、
少なくともアメリカ在住の日本人にはぜひ見てほしいと思う。

今、日本人が大手をふって歩けるのは
戦前、戦後の差別に耐え、その後
「まじめで働きもので、犯罪をおかさない良き市民」というイメージを
作り上げてくれた彼ら日系人のおかげでもあるのだから。