カメハメハ大王の日

aloha_mode2005-06-10



恥ずかしながら、今日はじめて知りました。来る6月11日(うちのハラウのホイケの日)は、King Kamehameha Dayであることを。


というわけで、ちょこっと調べてみました。


カメハメハ大王(カメハメハ一世, Kamehameha the Great, Pai'ea Kamehameha)は、1748年〜1761年(諸説あり。それにしても幅広い)の間にハワイ島のノースコハラに生まれました。生年月日は不詳ですが、1871年、カメハメハ王(カメハメハ5世)の時代に、毎年6月11日をカメハメハ大王の日として定め、祝うことが決められました。


伝説によると、カメハメハ大王が生まれたのは嵐の夜で、明るい星、ココイキが出ている日だったそうです。このココイキは、ハレー彗星ではないかといわれており、もしこれが仮にハレー彗星だったとすると、大王が生まれたのは、1758年の11月か12月になるそうです(ぜんぜん6月じゃない!)。


カメハメハ大王が生まれる前、ハワイのカフナたちはハワイ全島を統一する偉大なる王の誕生を予言していました。そのため、各地をおさめていた王族たちは、生まれてきたカメハメハ大王を暗殺する計画を立てました。しかし、カメハメハ大王は生後まもなく、ワイピオバレー(Waipi'o Valley・ワイピオ渓谷)の養父母のもとへ連れて行かれ、そこでPai'ea(パイエア=硬い殻のカニの意味)という名前をつけられて人々から隠されて育ちました。その後、暗殺の危険がなくなったため、カイルアコナの両親のもとに戻り、今度はあらたにKamehameha(カメハメハ)の名前がつけられました。このカメハメハという名前には、The Lonely One(さびしきもの)という意味があるそうです。


カメハメハ大王はまず地元、ハワイ島の王を倒し、その後各島をおさめる権力者たちを制圧して(血みどろの戦いが行われたそうです。マウイ島のカヘキリと戦った、イアオ渓谷の戦いは有名です)、1810年にハワイを統一し(カウアイ島の王とは戦いではなく話し合いで統一が決定)、1819年5月8日、ハワイ島のカイルアコナで亡くなりました。ハワイの伝統にのっとって、彼のマナが宿る骨は側近の手で秘密の場所に隠され、今もどこに埋められているか分かっていません。


カメハメハ大王の業績としては、それまで流血の争いが続いていたハワイ諸島に平和をもたらしたこと、そして諸外国との国交を盛んに行ったことがよく知られていますが、もう1つ、1816年にハワイの国旗を作ったことも良く知られています(関係の深かったイギリスのユニオンジャック、そして8つの線はハワイの主な島を表しています)。


カメハメハ大王には複数の妻がおり、そのうち大王の寵愛を最も受けたのは、カアフマヌ女王。彼女はそれまでハワイで大きな力を持っていたカプを破ったことで知られます。たとえば、王族といえども、女性の地位は男性より低く、女性が男性と一緒に食事をとることはカプでしたが、彼女はカメハメハ王の息子(カアフマヌの息子ではない)、カメハメハ2世を説得し、一緒に食事をとりました。彼女がカプを破っても何も不吉なことは起こらなかったため、この後、このカプは大きな意味を持たなくなりました。


カメハメハ王という名前の人が多いので、私はいったい誰が誰だかいつも混同するのですが、ハワイオアフ島観光局さんのサイトに、歴代の王(カメハメハ1世〜5世。ルナリロ、カラカウア、リリウオカラニ)について解説してありますので、参考にしてみてください。


カメハメハ大王の日には、毎年パレードが行われる他、イオラニ宮殿ではカメハメハ大王の像にレイを捧げる儀式が行われます。

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カメハメハ大王の略歴に関しては、こちらのサイト他を参考にしました。
http://www.tammyyee.com/tt-kamehameha.htmlまた、池澤夏樹さんの「ハワイイ紀行」にも詳しく書かれています。5章「アロハオエ」参照。

◎トップの写真は、Kamehameha: The Warrior King of Hawai'i
by Susan Morrison, University of Hawaii Press
アマゾンでは扱っていないようですので、興味のある方は、ハワイでどうぞ。