フラ・コンペティションinフロリダ

aloha_mode2006-07-08



わずか10分の本番のために
費やされた半年の努力


フロリダで行われたhoike hawai'iというコンペティションポリネシアンフェスティバルから帰ってきました。
1月から練習がスタートし、毎週通常のクラスが終わった後に1時間〜1時間半のクムによる特別練習、そしてその他に毎週アラカイが平日の夕方、仕事が終わった後、練習につきあってくれたり、カヒコ1曲とアウアナ1曲のわずか10分程度のパフォーマンスのために、どれだけ時間を費やしたか知れません。


終わってみれば、もうあっという間で、後から、あの時はああだったとか、こうだったとか、いろんなことを考えながら、普段のモードに少しずつ体と心を戻している最中です。


今回本当に感動したのは、26人がステージでわずか10分踊るためだけに、どれだけ多くの人のサポートがあったかということ。うちのハーラウでコンペといえば、メリーモナークやキング・カメハメハなどの大舞台が多いのですが、今回のコンペはそれとはもう比べ物にならないくらい小さい、地方で行われる地味〜なコンペだったのですが、参加するためにかけたエネルギーと情熱は決してひけをとらないと思います。


2回のガレージセール、クラブイベント、レストランでのルーアウ、グッズ販売など、これらに参加してくれた人はもちろん、衣装を縫うために土曜日1日(12時間!)を犠牲にして来てくれたアラカイ、ミシンなしには、このコンペ参加は不可能でした。


今回の私たちのチームは、下は1歳の赤ちゃんから上は小、中学生まで、子持ちママが多いのが特徴で、練習やイベントに参加するために週末丸一日中子守りをしたり、慣れない料理を作ったりしてくれる、夫たちの協力は本当に不可欠でした。特に私は実生活では3歳の双子のママだったりするのですが、今回、家族はLAに置いて一人だけフロリダに出発。この間、子供の面倒をずっと見てくれていたダンナには当分、頭が上がりません。


この他、チームメイトの中には、コンペ2ヶ月前にサンフランシスコに引越しし、毎週飛行機で練習に通っていた人や、コンペ参加のために旅行先の日本からフロリダに飛び、コンペ終了後はまた日本に舞い戻った人(日系人の女の子で今回が初の日本旅行)もおり、小さなコンペとはいえ、皆の気合の入り方は並々ならぬものがありました。


出発直前の大事件
まさかの事態発生


さて、そんなコンペだったのですが、実は出発数日前に予想もしない事態が起きました。それは何かというと、クムがフロリダに同行できなくなったということ。
理由はプライベートにかかわることなので、ここでは書けませんが、それを告げられた時の私たちは皆、当然号泣。出発直前だし、もうどうしようもないことなので、どうにかして気持ちを切り替えるしかありません。これはある意味、フラを続けていく上で過去最大の「試練」だったように思います。

幸いというか、私たちのハーラウには6人のアラカイがおり、そのうち一人は限りなくクムに近い存在*1なので、彼女が私たちに同行し、リハーサルなどすべての面倒を見て、当日もクム代行として立派に私たちを引率してくれました。


フロリダに着いてからは、ダウンタウンディズニーが目の前にある好ロケーションにもかかわらず、ほぼ毎日部屋でカップラーメンをすする毎日。朝7時にCircle of Trust*2で始まり、夜部屋に戻るのは10時過ぎ。そこからまた衣装の手直しをしたり、ククイナッツの紐を通したり、メイクの練習をしたり、ルームメイトといろんな話をしたりで、毎晩寝るのは2時過ぎ。興奮していたから、体がもったんだなぁと帰ってきてからグッタリしている今、思います。


今回アウアナで踊ったのは、ナタリー・アイのバージョンの「Aloha Hawai'i Ku'u One Hanau」*3。カイ&ホイ(入退場の曲)は、ホオケナの「Na Kai‘Ewalu」というアルバムに入っている「He Hawai‘i Au


コンペで演奏をしてくれたのは、ノースキャロライナで活動するHawaiian Kindというローカルバンド。クムが編集したCDにできる限りテンポを合わせ、木、金と嫌な顔1つせず、何度も何度もリハーサルにつきあってくれ、本番の土曜日にはバンドとダンサーたちが1つのチームとして踊ることができたように思います。最初はハワイからバンドを呼ぶことも考えていましたが、いわゆるビッグネームだったらここまで私たちにとことん付き合ってくれることはなかったでしょう。生の演奏で何度も踊るという貴重な経験*4ができたこと、とても感謝しています。

チームは26人編成なのですが、彼らと共にやってきた家族が何かとコクア(ヘルパー)として滞在中は借り出されます。ふだん一度もアイロンがけをしたことがない人がアイロンがけをし、ダンサーの夫は生まれて初めてのレイ作りを経験し、ダンサーの婚約者はホテルの外に出る時間がない皆のためにランチの買出しに行きます。ダンサーのお母さんの一人は、内科医なのですが、深夜1時過ぎまで皆の衣装を手縫いでサイズ直ししてくれました。


コンペ終了
新たなる旅の始まり


コンペ当日の土曜日は、午前中カヒコ、午後アウアナ。生まれて初めて生のマイレのレイを身につけることができたのが、感動的でした。生のマイレ、柏餅を思い出させるような特徴のある香りでした。


カヒコは、ペレとペレの姉であるナマカオカハイの戦い、そしてその戦いを得た後、ペレが神になったことを伝えるカヒコで、アウアナ同様、フランク・カヴァイカプオカラニ・ヒューエット氏の作品です。*5帰ってきてから友人のご主人がとってくれたビデオで見ると、グレイのトップと真紅のパウスカートがなかなかドラマティックな雰囲気です。



アウアナの衣装は、ハワイの砂(ku'u one hanau=my birth sand)をあらわした光る素材のベージュのトップと、エメラルドグリーンのパウ。髪はアップにして、髪には生の花、首には白のバラのレイ。そしてフラの神様、ラカのキノラウの1つであるマイレのレイを肩からななめにかけます。


フラでなぜレイを身につけるか?いろいろな理由がありますが、その1つは植物を身にまとうことで、ダンサーの体がクアフ(神殿)になるということ。神聖な儀式などで、カヒコを踊る前に海水で身を清める儀式をしたり、カプ(タブー)を設けて禁酒、禁欲したりするのもそのためです。


クアフには3つ種類があり、1つは自然のままの森林、1つは植物を使ってハーラウなどに作られた祭壇、そしてもう1つは植物を身にまとったダンサーの体そのものがクアフになります。フラカヒコで頭、両手、両足、首に飾りを身につけるのには、体を神聖なクアフにし、フラの神様を迎えるための準備の1つであり、そして、踊った後にダンサー本人の魂が守られるためのお守りでもあります。


ハワイの人は植物を大切にし、自然の森を守ろうという人が非常に多いですが、それは環境が破壊されれば、神々の住む森が失われてしまうから。つまり森こそ原点なのです。ハワイとフロリダ、非常に遠いようですが、フロリダの湿った生暖かい気候、しょっちゅう降る雨と虹、深い緑に囲まれた自然が多く残る大地、そして世界中からやってくる観光客など、実はハワイとの共通点は多かったです。


最後に1つちょっと不思議なエピソードを紹介して、今回の日記を終えたいと思います。それは、アウアナを踊るためにステージにあがった直後のことでした。足元に何かがくっついていることに気が付き、なんとかして離そうとしたのですが離れません。こんなことに気をとられていては踊れないので、そのまま踊りつづけたのですが、なんとカイとホイを含め、5分以上踊っている間、その何かが私の足にくっついたままでした。ステージを降り、客席を離れ、廊下に出て、ようやく足の裏を見ると、この間ずっと足にくっついていたのは、la'i(ティーリーフ)の葉でした。これが何を意味するのかは分かりません。これからのHula Journeyで、いつか答えが出たら…と思います。

*1:フラを教えるには、どれだけ深く幅広い知識が必要か分かっているだけに、本人はクムになる気はないと言っていますが、周囲はいつかクムになってほしいと思っています。現在、ハワイの別のクムの指導を受け、オーラパのウニキ目指して修行中

*2:皆で手をつないで輪になって、それぞれの気持ちを話す儀式。以前書いたho'oponoponoに限りなく近いですが、今回ネガティブな話はまったく出てこず、皆チームメイトに対する感謝の言葉やどれだけここに来れてうれしいか、そんな話が中心でした

*3:Ale'aのバージョンも有名。作詞作曲は、フランク・カヴァイカプオカラニ・ヒューエット氏

*4:バンド側もテンポを調整しつつ…という感じで毎回少しずつ演奏が変わっていたので、ダンサー側もCDのテンポは無視して、バンドの音をしっかり聞き、それに合わせて踊るという良い練習になりました

*5:従姉妹であるテレサ・ブライトと一緒に発表した「カ・ピリナ」というアルバムに収録されている「Pi'i ke kai」という曲